ようこそ KMC学習所へ 令和5年10月5日更新

 東京都の新規感染者数の動向は、8月以降に新変異株EG.5への移行が進み、増加傾向が現れるようになってきている。一説では、第9波の拡大が始まっているとも報じられている。しかし、政府の感染状況の管理の仕方は大幅に後退し、日々の感染状況の報道も庶民の周辺からは殆ど消えてしまった。テレビで報道されることもなくなった。医師会は第9波に突入したと報じたが、厚生省の情報では第9波は発生していないと言明している。一般の人は、自分たちの周辺で何が起きているのかも分からなくなってしまっている。どのように自主管理を進めるのかが全く分からなくなってしまっていると言える。人々は情報が少なくなると、社会の状態を楽観的に考えるようになり、コロナに対する警戒心がなくなるとマスクの着用も少なくなる。秋の行事が活発になると人々は一層活発に行動するようになる。3年余り味わった閉塞感からの脱却を一気に図ろうとして多くの人が行動するようになる。感染しやすい状態が進む。

 3年間にわたるコロナ危機を経験して、日本の社会が抱えている多くの社会問題が赤裸々になった。昭和末期から平成時代30年の間に心配していたことであるが、日本の社会は質的にも量的にも大幅に劣化してしまった。社会が劣化したことは、日本国民の生活が劣化したことになる。最も大きく劣化したのは政治的な劣化であり、次いで経済的な劣化である。戦後生まれの民主主義を十分に理解できていない世代や戦後復興後の豊かさだけを満喫し尽くしてきた世代の世襲政治家の台頭が、日本の社会を正しく導く能力を消滅させ、「虚飾と傲慢さ」が横行する社会にしてしまった。コロナ危機という百年に一度の世界的な災害に遭遇し、対応能力を失い国民を一層不幸に導く事態になってしまった。

 なかでも、民主主義的考え方の劣化が甚だしく、必要以上に権力を行使する傾向が強くなった。特に、政治社会に「政治主導」の考え方を取り入れて以降その傾向が顕著になった。それ以前の政治は「官僚主導」の形で進められていたが、「政治主導」の考え方が政治家からの主張で取り入れられ変化した。しかし、当時既に外来の宗教汚染が進みつつあった平成時代の政治家には健全な民主社会をリードしていく能力が欠乏し、従来のような官僚主導の政治すら機能しなくなり、政治主導の考え方も正しく導入されていかなくなり、各種の面で停滞が進んだ。

 科学技術力の低下や経済成長力の後退、国民の生活水準の劣化、社会の仕組みの弱体化、政治体制の陳腐化、デジタル化の遅れ、情報活用の考え方の不整備、医療体制の不整備、リスク管理体制の不整備、多様化の遅れ、貧富の格差、教育格差、性別格差、子供の貧困化問題、災害対応能力の不備、新興宗教による汚染、将来展望の欠如など、先進国としての遅れが顕著になり、国会軽視の傾向すら現れるようになった。その結果、民主主義の考え方が後退し、多くの若者が日本の将来に期待や夢が持てない状態に進んでしまった。みんなで築く社会造りの基本的な仕組みが崩れてしまった。民主主義の崩壊である。特に、隣国中国の存在がこれらの状態を加速させた。

 更に、国際環境の悪化とコロナ危機に直面して、現在の日本の防衛体制や防衛能力で国民の生命を守る体制が整っているのかどうかも疑問になり、多方面の課題を同時に解決しなければならない局面に追い込まれるようになった。今後、これらの諸問題を社会構造の体質改革を推進する課題として捉え、計画的に検討を進めるためには、平成時代30年間の失政を的確に反省し、現在発生しているパンデミックのリスク対策も含めて、適切に対応できる体制を早急に整備する必要がある。対策の計画・立案・実行には相当の期間が必要になるだろう。多くの組織や国民の協力が不可欠となるだろう。これらの諸問題を解決していく能力を有する優秀な人材が政界や財界、一般社会に不足しているかもしれない。一部のグループや一部の仲間集団で達成できるものではない。多くの有能な人材、長い時間、一定の財力、弛まない努力の継続、多方面の人々の協力などが必要となる。21世紀の新しい文化を創成することに発展する。

 KMC学習所では、これらの問題に関連する話題を取り上げ、科学技術的な観点や情報技術的な立場から分析し、日本社会の構造的体質問題、経済成長と日本の産業構造の問題、デジタル化社会に関連する問題、デジタル教育に関する問題などについて、戦後復興に実社会で携わった一員として諸見解に触れ、考えてみたい。