最近の話題1

 必ずしも、刑事罰というレベルの悪とは言えないが、人の欲望や感情がその人や社会の人々を悪に導くことがある。これらの人間の行動に対する戒めは、古代から現代に至るまて、多くの神学者や哲学者、知識人などの中で考えられ、語られ、議論されてきている。

 ここでは、「八つの枢要罪」や「七つの罪源」などに触れ、悪徳と美徳を対比しながら、現在の日本の社会のリーダ達の徳にメスを入れ、それが日本の社会にどのような影響を及ぼしていくのかについて考えてみたい。

  ① 悪徳と美徳
  ② ピーターの法則と傲慢な政治家
  ③ 虚飾と傲慢に支配される国家公務員
  ④ 虚飾に満ちた日本の将来

虚飾に満ちた日本

 古代エジプトの時代から人間を罪に導く欲望や感情について、修道士や哲学者、神学者などの間で議論されてきた。左の図は、4世紀のエジプトで著された「八つの枢要罪」を示したもので、キリスト教の「七つの大罪」の原型になったものである。

 「八つの枢要罪」は、中央一番上の「暴食」に始まり、「色欲」「強欲」「悲嘆」「憤怒」「怠惰」「虚飾」「傲慢」の序列で最初のものほど重い罪になるといわれていた。序列で一番上の「暴食」は、古代には食料の供給が十分でなく食糧問題に発展する事が多々あったため、大食いは不健康とか怠惰者とか言われ毛嫌いされていたためである。

 その後、6世紀頃になって、「七つの罪源」に示す内容に改定され、序列も変化している。傲慢が最も罪の重いものになり、暴食、色欲が罪の軽いものに変わっている。古代のものは、身体的、物質的なものの罪が重いとされ、精神的な悪徳が後ろの序列になっていたが、6世紀以降では逆転し、精神的なものの罪が重くなり、「傲慢」が第一となっている。

 「傲慢」は、おごり高ぶって人を見下し、他人の権利を侵し、神々を冒涜することであり、人間が自己の分限を超えることが神々の怒りを招くとされ、人間破滅の一因とされるようになった。「八つの枢要罪」で取り上げられた「虚飾」は、自分自身の能力や他人に与える魅力を過度に信じることで、実質を伴わない外見的な飾りであり、虚栄心を意味する。「七つの罪源」では「虚飾」は傲慢の一例として扱われて、罪源からは消えている。傲慢に振る舞うことから、虚飾が必要となり、虚飾を活用し続けると真と虚の区別が分からなくなって一層傲慢になる。

 古代から現代に至る悪徳の序列の変化は、人間社会における人の活動形態が大規模化、複雑化するに伴って、個から集団、小さな集団から大きな集団に組織化され、組織も複数化し、人や社会が組織の影響を大きく受けるようになったり、人が他人や組織に与える影響が、複雑に絡み合い大きくなったりしたためであると考えられる。現代では、組織や社会のリーダ達が、組織に属する多くの人々に及ぼす影響も多大なものとなり、重視されるようになっている。

 ピーターの法則によると、有能な人は限界まで出世し、出世したそのポジションで無能化する。従って、有能な平の社員が出世して中間管理者になると無能になることがある。もし、組織の中間管理者がピーターの法則に従っている場合には、組織の管理者は無能者の集まりだということになる。

 そのようなリーダー達が管理者としての威厳を保とうとすると「傲慢」でなければならなくなる。このリーダー達の「傲慢さ」が組織や社会に悪をなすことになり、その一つの実現形態として「虚飾の活用」が行われる。無能なリーダーの傲慢さが虚飾に満ちた組織に変貌し、その組織のメンバーに害悪をまき散らし、チーム全体を不安な環境にしてしまう現象が現れる。

 平成の末期に政界や財界で目立った現象として現れたのが、虚飾という現象である。真実が語られない、ごまかす説明が横行する、平気で嘘をつく、データの改ざんが平然と行われるなどの行為が日常的に行われるようになった。ピーターの法則に従うと、リーダー達が無能化し、自分たちの立場を維持したいために、傲慢になり、悪を社会にばらまいた結果ではないかと考えられる。

 このようなリーダー達の存在を認め、どのようにして正常な状態に戻していけばよいのかの検討が必要である。

SHWKP公園動画とBGMを楽しむ